かほく市の概要
かほく市は、石川県のほぼ中央に位置し、西は日本海に臨み、北は押水町、東は津幡町に、南は内灘町と隣接しています。金沢市から約20〜25キロメートル圏内にあり、南北を縦貫するJR七尾線によって、金沢市と約30分で結ばれています。かほく市は、平成16年(2004年)に高松町・七塚町・宇ノ気町の3町が合併して誕生した市で、「海とみどりに抱かれた“やすらぎ”と“うるおい”のまち」を基本理念に、「自然環境」、「社会福祉」、「生活環境」に配慮したまちづくりを目指しています。
かほくのあゆみ
かほくには、数万年前から人が住んでいたと考えられています。氷河時代、まだ陸続きだったユーラシア大陸から獲物を求めて南下し、この地にたどり着いた人々がいました。やがて氷河期が終わり、現在のような温暖な時代が始まると、食料となる果実や貝類も次第に増え、今まで獲物を求めて移動していた集団は次第に定住するようになりました。こうした遠い祖先の営みを経て、内陸部での農業や、日本海沿岸部での漁業を生活の糧とした集落が形成されていきました。
現在のかほく市高松町の「高松」という地名が初めて現れるのは、『廻国雑記』という旅日記です。一説によると、高松という地名は、もともと「田鹿待」とされていたようで、それは河北一帯に鹿が多く棲息し、よく鹿狩りが行われていたことが由来とされています。
大化2年(646年)に大和朝廷は中央集権化を図り、道・国・郡の制度をしき、全国を統一しました。これによって、かほくの地は「北陸道」にある「越前の国」、その中の「加賀郡」に属しました。その後、天平宝字元年(757年)に、羽咋・能登(鹿島)・鳳至(ふげし)・珠洲の4郡から成る能登国が越前の国から独立し、弘仁14年(823年)、その後を追うように加賀郡も江沼郡とともに「加賀国」として越前の国から独立しました。
中世の15世紀頃になると、一向一揆が激しくなってきます。過酷な支配を押し付ける領主に対して、民衆は大規模な一揆を起こし、領主の応援に駆けつけようとした勢力を阻止する拠点となったのが、高松城です。そして戦いに勝利を収めると、民衆による自治の国が誕生しました。この国は織田信長によって滅ぼされる天正10年(1582年)まで約100年間にわたって続きました。
織田信長が亡き後、豊臣秀吉が全国を統一し、その信任を得た前田利家は、軍事行動を起こした佐々成政と攻防を繰り広げるようになります。天正12年(1584年)、富山を出陣した佐々勢が、利家の重臣・奥村家福の守る末森城を攻略しようとしました。援軍に向かった前田勢が宇ノ気川を渡ろうとしたその際、高松の桜井三郎左衛門が道案内をし、高松の浜を無事通過した前田勢は勝利を収めました。この桜井三郎左衛門の軍功を評価した利家は、高松村に「永代地子銀免訴(宅地税免除)」の特権を与えました。この特権はその後、明治8年(1875年)まで保証され、この免税制度に魅力を感じて、隣接する村々から高松に移住する人々が多かったといわれています。
明治に入ると、廃藩置県により石川県が誕生し、明治22年(1889年)には河北郡の265村が1町33村に、羽咋郡の2町231村が2町38村に統合されました。その後、明治から昭和にかけて合併を重ね、昭和35年(1960年)には、高松町・七塚町・宇ノ気町の3町となりました。そして、平成16年(2004年)に3町が合併し、人口約3万5000人のかほく市が誕生しました。
かほくの名前の由来
この地は、元々「河北(かほく)郡」という古代からの郡名で呼ばれていました。県の中央部北寄り、河北潟を中心とする金沢平野の北半に位置し、加賀国の分国とともに手取川以北の地域であった旧加賀郡の南半を石川郡として分割したもので、中世後半に河北(かほく)郡と改称されました。
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高松図書館 |
| 住所: |
〒929-1215
石川県かほく市高松ク42-1 [地図を見る] |
| 電話番号: |
076-281-0317 |
| 開館時間: |
火曜日〜金曜日 10:00〜18:00
土曜日・日曜日 9:00〜17:00 |
| 休館日: |
月曜日、第1日曜日、最終水曜日、祝日、蔵書点検期間、年末年始 |
| 入館料: |
無料 |
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